Episode.1

「ありがとう」、お空まで届くかな。

肝臓移植体験者 お母様の手記

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娘がフツウに生活できれば、もうそれだけで充分です。移植。これまで知っていてもドラマの中やドキュメンタリー番組で見ていた遠いところでの話だと思っていました。
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移植という医療があるから命を繋ぐことが出来る。でもそれは、だれかの命を分けていただかないと繋げない命。
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今では、お空にいるドナーの方のこともきちんと分かっているようで、「見てるかな? げんきだよ」とお空に向かっていっています。
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「何もしなければ、2歳までしか生きられません。」医師から、そう告げられました。

誕生〜病気発覚

娘はよく晴れた冬に生まれました。
妊娠中の経過も問題なく、3,000gを超える元気な赤ちゃんでした。
順調に退院しましたが、退院から一週間後の母乳外来で
体重増加が少ないことを指摘されました。

1ヶ月検診、体重の増加はぎりぎりでしたがクリアし、黄疸が残っていましたが、
母乳を与えていたことから、先生からは母乳性黄疸だろうと言われていました。
2ヶ月半のとき、夜中にミルクをあげて寝かせると噴水のように吐き戻しました。
母の勘だったのか、いつもと様子が違うと感じました。
よく吐き戻す子だったので朝まで様子を見ておりましたが、ミルクをあげるたびに吐き戻し、
とうとう尿が出ていないことに気づき朝一番で近所のクリニックに駆け込みました。

クリニックに連れて行ったとき、授乳をして様子を見ましたがその時には吐き戻さず、
たまたまウンチをしたのです。それを見た先生から
「お母さん、いつもウンチはこの色?」と聞かれました。

母子手帳を見てずっと引っかかっていた『クリーム色の便なら小児科を受診しましょう』の項目。
母乳外来でも1ヶ月検診でもウンチの色を聞いていましたが、
母乳児は色が薄いから大丈夫と言われ、
不安はありながらも自分に大丈夫と言い聞かせていました。

しかし、やはり異常な色だったのかと気づくと急に胸を押し潰されるような不安が襲いました。
採血すると肝臓の数値が異常値。
すぐに近くの大学病院の紹介状をもらいそのまま向かいました。

紹介された大学病院に着き、人目も気にせずボロボロと泣き、
震えが止まらない中、無表情の娘を抱いていました。

診断の結果、胆道閉鎖症である可能性が高く、
大量の吐き戻しはビタミンK欠乏による合併症の頭蓋内出血を起こしていることが分かり、
すぐにPICU※に運ばれ処置が行われました。
昨日まで笑顔があった娘は、ちっとも笑顔をみせず無表情のままでした。
長い時間処置を待ち、主治医の先生からお話があった時は、もう夜の9時を過ぎていました。
※PICU(小児集中治療室)

「残念ながら胆道閉鎖症の可能性が高いです。開腹してみないとはっきりとは言えませんが・・。
もし胆道閉鎖症の場合、何もしなければ2歳までしか生きられません。」
未来がないかもしれない?
生まれたばかりなのに、どうしてこんなことに・・?

どこからやり直せばいいか本気で考えました。
まだ親になったばかりの私たち夫婦には受け入れがたい事実でした。

元気にしてあげたい!フツウに生活させてあげたい!幼稚園に行かせてあげたい!

手術〜移植まで

娘がPICUに入り数日が経ちました。幸いにも脳に影響はないであろうとの診断結果を受け、
手術をする前に脳圧を下げ輸血をして落ち着くのを待ちました。
入院してから2週間後、最初の手術が行われました。9時間に及ぶ手術でした。
しかし、娘の肝臓の数値は良くならず、手術から2ヶ月後には
主治医の先生から移植の話をされました。

移植・・・
これまで知っていてもドラマの中やドキュメンタリ-番組で見ていた
遠いところでの話だと思っていました。まさか自分の子が移植しないと
生きることが出来ないなんて思ってもみませんでした。
乳児が移植を受ける為には最低でも体重を6キロまで増やさなければなりません。
5ヶ月の娘はまだ4キロしかありませんでした。
肝臓が悪いために栄養の吸収が難しく、体重を増やすことがとても大変でした。

9種類の薬を飲ませ、栄養剤とミルクを飲ませる。それが私の移植までの使命でした。
肝臓が肥大し腹水もあった娘のおなかはパンパンなのに、
手足は細く目も肌も茶色く濁っていました。
日に日にミルクを飲めなくなり、小康状態だった肝臓の数値も
とうとう悪化傾向になり始め、移植を本格的に考える必要が出てきました。

移植に向けていろいろな検査を行い脳死移植の登録を行いました。
この頃には娘はあと半年くらいしか生きられない状態までになっていました。
明らかに悪くなっていく娘でしたが、
笑顔も見せてくれて、私たちはそんな娘に命の強さを感じておりました。

親は無力です。
医者でもなく、病気と闘う娘に何もしてやれない。
そばにいることしかできない。どうにかして娘に未来を与えたい。

主治医から移植の可能性について説明された時から、移植に対する恐怖心を持っていました。
出来ることなら自分の肝臓で頑張ってほしい。移植は100%の医療ではない。
もしかしたら移植したことで娘の命が終わってしまうかもしれない・・と。
しかし、生きる方法が移植しか選択することが出来ない娘には、
移植があるということが希望なんだと思えるようになりました。

移植手術を行う病院の先生が、泣いて悲観していた私たち夫婦を、
移植して元気になった子に会わせてくれました。
その子は真っ黒に日焼けし、元気に幼稚園に行っていると!

元気にしてあげたい!
普通に生活させてあげたい!
幼稚園にも行かせてあげたい!
未来を想像したい!

その頃には移植という医療があることに感謝していました。

『フツウの生活』を楽しむことが、ドナーの方やご家族への恩返しなのではないかと思っています。

ドナー

娘が入院していた時、先生が真剣な面持ちで私たち夫婦のところに飛んできました。
「ドナーの方がいらっしゃいました。移植するか今すぐ返事をしないといけない。どうする?」
娘の事で頭がいっぱいであった私たちはこの時に気付きました。
ドナーの方もご家族も同じように命を見つめ病院にいることを。
そんな中その大切な命をいただいて良いのか。ご家族がそのご決断に至るまでの
苦悩を考えるとすぐに返事が出来ず、胸が押し潰されそうでした。

数年前だったら消えていく命だった娘。移植という医療があるから命をつなぐことが出来る。
でもそれはだれかの命を分けていただかないとつなげない命。
ドナーの方のご意思であったこと、きっと娘と何かの縁があるのだと
主治医の助言もあり、ありがたく受けることに決めました。

次の日の朝、移植チームの先生たちはドナーの方がいる病院へ、
娘は移植できる状態にするために手術室へ入りました。
移植手術は無事成功に終わり、夕方にはICUで娘と会うことが出来ました。
薬で眠らされていましたが、「頑張ったね!元気になるよ!」と
声をかけると少し目をあけて私を見ました。
それから1ヶ月ちょっとで退院することが出来ました。
ドナーの方が何人もの方に命をつなげていたことは手術のすぐ後に知りました。
移植後の経過は順調で、娘の中で共に鼓動してくれています。
私たちは娘が言葉も分からないときから、つなげていただいた命のことを話しています。

今では、お空にいるドナーの方の事もきちんと分かっており
「みてるかな?げんきだよ」とお空に向かって言っています。

つながれた命に、言葉では言い尽くせない程の感謝の気持ちでいっぱいです。
娘には命を大切にして、思い切り『普通の生活』を楽しんで成長してほしい、
それがドナーの方やご家族への恩返しなのではないかと思っています。
毎年、第2の誕生日(移植日)を迎えるたびにあの日のことを鮮明に思い出し、
改めて感謝し、また1年を元気に過ごすという目標を持っています。
娘のように移植でしかつなげない命があること。
移植に対して、多くの人が理解を持つ世の中になるよう願っています。

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