Episode.2

移植後、集中治療室で最初に感じたことは、心臓の鼓動の強さです。『血管が破裂してしまうのではないか』と思うほどでした。

心臓移植体験者

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結婚して間もなかった妻にとって、私の病気の発症は、にわかには信じ難いものでした。

病気について

拡張型心筋症。私がこの病名を初めて耳にしたのは、緊急入院した病院のベットの上でした。
ある日を境に突然呼吸が苦しく、咳込むことが増え、それまで全く問題のなかった
階段の昇り降りが辛くなり、気管支炎か肺炎にでもなってしまったのかと、
それほど深刻には考えずに受診した病院でのことでした。

拡張型心筋症とは、心臓が大きくなり、血液を循環させるポンプ機能が低下し、
病気が進行すると不整脈や心不全に至る難病です。

医師より心臓の病気であると聞いて非常に驚き、動揺したことを覚えています。

そして、私が何よりもショックを受けたのは、
「現在の医学において、この病気を根治するためには心臓移植しかない。」と言われたことでした。
病院を訪れた際には考えもしなかったあまりに突然の宣告に、目の前が真っ暗になる思いでした。

仕事も遊びもこれから沢山謳歌しようという時に、このような大変な病気にかかってしまい、
『この先の自分の人生は一体どうなってしまうのだろう』と漠然とした不安を感じました。

もともと私は、『健康だけが取柄だね』と周りからも言われるほど、
自他共に認める健康優良児でした。
子供のころから体を動かすことが好きで、小学校入学と共に始めた野球は、
高校では甲子園を目指して厳しい練習に打ち込み、
社会人になってからも毎週のように草野球チームで活動し、これまでずっと続けてきました。

たまに新聞やテレビなどで、重い難病と闘っている方を目にして
心を痛めることがありましたが所詮は他人事、
まさか自分自身がこのような難病に冒されるとは夢にも思っていなかったのです。

それまで私が健康であることを信じて疑わなかった両親、
そして当時結婚して間もなかった私の妻にとって、
この私の病気の発症は、にわかには信じ難いものでした。

平凡な人生で良いです。だから神様、どうか生かしてください。

病気発症から補助人工心臓埋め込み中の生活まで

緊急入院をして医師より病気についての説明を受けた後、すぐさま投薬治療が開始されました。
毎日のように行われる検査と治療は、それまで病気とは無縁の生活を送ってきた
私にとって非常に辛いものでしたが家族と共に何とか耐え、
『少しでも心臓が小さくなっていますように。』と祈りながら、日々の検査結果を聞いていました。

しかし、そんな私や私の家族の願いもむなしく急激に症状は悪化し、
気が付けば1ヶ月で体重が20キロも落ちていました。
四六時中襲われる体中の痛みや吐き気により、苦しくて眠れない日々が続きました。

『本当に自分は大変な病気にかかってしまったのだな』と、ようやく実感しました。

その後もさまざまな治療を行いましたが効果はなく、
「内科的治療の限界、このままでは一週間と命は保証できない。」と言われ、
補助人工心臓の埋め込み手術を提案されました。

そして、医師より手術についての説明を受けましたが、
その時の私に内容を理解できるほどの余裕はありませんでした。
『ただ普通に生きたい。』私の頭の中にあったのは、それだけでした。

『死ぬことが惜しい、やり残したことが多すぎる、やりたいことも多すぎる。
多くは望みません、わがままや不満も言いません、平凡な人生で良いです。
だから神様、どうか生かしてください。』心からそう思いました。

補助人工心臓の埋め込み手術は、その後の心臓移植を前提とする手術であるため、
「心臓移植」というものに真剣に向き合うようになったのはその時からです。
補助人工心臓の埋め込み後は機械との相性もよく、見る見るうちに体調は回復していきました。

しかし、24時間機械と共に生活することは非常に不便で、
機械のせいで運動も出来ずストレスがたまり、精神的には不安定なことが多かったと思います。
そんな状況を打破するために、なんとかストレス発散の場を作ろうと、
インドアの活動を行ってみたこともありましたが、自分には合わずに続けることが出来ませんでした。

『結局、自分には運動しかないのだな。』と改めて実感しました。

また、周りの方の助けもあって職場に復帰することができましたが、
10キロ近くもある補助人工心臓の機械を持って毎日通勤している自分を客観的に見たときに、
ここまで体力のある自分が本当に心臓移植を受けても良いのか、と考えるようになりました。

それからというもの、
『移植を受ける側の人間としてやることは何なのか。』ということを常に考えていました。

思い悩む日々を過ごしましたが、私にできることは、
『少しでも体力をつけて、万全の状態で移植に臨むことではないか』と考えました。
『本当の健康を取り戻せれば、心臓を提供してくださるドナーの方の恩に
報いることができるのではないか。』と思ったのです。

それが何より今、自分に言い渡された使命であると信じ、
補助人工心臓と共に3年間を過ごし、ようやく移植を受ける日を迎えました。

今まで以上に努力をしてがんばって生きていこう。そう生きて、ドナーの方の恩に報いたい。

移植、そして今

移植後、集中治療室で最初に感じたことは、心臓の鼓動の強さです。
『血管が破裂してしまうのではないか』と思うほど
力強い心臓をいただいたのだと考えると、いろんな感情が頭の中を駆け巡りました。

不便からの解放、動けるうれしさ、当たり前のことを当たり前にできること。
小さなこと一つ一つに喜びを感じ、なぜだか病気をする前より感情が豊かになった気がします。

今までの3年間は下を向いて歩いていたせいか、
世の中がアスファルト色に見えていましたが、心臓移植後は街の様子を見ながら歩き、
世界が色鮮やかに見えるようになりました。

『私には何かやるべきことがあるから、こうして生かされたのではないか。』そう感じます。

ドナーのご家族の手記を読むと、
“移植を受けた患者さんは臓器を提供されたことを重荷に感じなくていいですよ”と
書いてくださっている方もいましたが、
私は今まで以上に努力をしてがんばって生きていこう、と感じています。

不器用かもしれませんが、そう生きることでしか見ず知らずの私に
命をさずけてくださったドナーの方の恩に報いる方法が解らないのです。

こうして、新たなスタートラインに立たせてもらい、
普通に生きたいと願ったあの日から、今では欲もでてきて、新たな希望が湧いてきました。

大変なことも、辛いことも今後たくさんあると思いますが、
生きる喜びを感じ、生かされていることに感謝しながら前向きに生きていこうと思います。

ドナーの方の大切な心臓は、今、私たちにとっての大切な家族です。

心臓移植体験者の奥様の手記

夫が心臓の病を発症し、心臓移植を受けなければ一週間後に生きている保証はできない、
と医師から宣告された時から、もう何年もの月日が経ちました。

その時のことを思い返すと今でも涙がこぼれそうになりますが、
今私の横で笑っている夫を見ると、当時の辛かった日々がまるで夢であったかのようにも思えます。
それくらい、心臓移植後の今の夫は、元気で充実した日々を送っているのです。

もしドナーの方が臓器提供の意思を表示してくださっていなければ、
もしドナーご家族が臓器提供に同意してくださっていなければ、
今の元気な夫の姿はありません。

心臓移植は、私達家族に未来への希望を与えてくださいました。
そしてそんな希望を与えてくださったドナーの方、
とそのご家族には言葉では言い表せない程の感謝の気持ちを感じています。

大切な誰かが亡くなってしまうことへの恐怖、悲しみ、苦しみは、想像を絶するものです。
そしてそれはきっとドナーご家族も同じであると思います。

ですから、そんな悲しみ、苦しみの中において、大切な人の大切な臓器を提供するという、
大きな大きな決断をしてくださったドナーご家族の方の心情を思うと、
本当に辛く、より一層深く感謝の気持ちを感じます。

ドナーの方からいただいた大切な心臓は、今夫の身体の中で力強く鼓動しています。
そしてその力強い鼓動を感じると、「私達も心臓に負けないくらい力強く
前向きに生きて行かねば!」と励まされます。

私達家族に未来を与えてくれ、励ましてくれ、私達と共に生きてくれる、
ドナーの方の、そしてドナーご家族の方の大切な心臓は、
今、私達にとっての大切な大切な家族です。

今後の人生、大変なことも辛いことも、この新しい家族と共に乗り越え、
共に歩んでいきたいと思います。

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