体験者の声

臓器移植者インタビュー「ふたり分のいのち、つないで生きる。」

現在、看護師を目指し看護大学に通うゆうたさん。勉学に打ち込む傍ら、塾講師や飲食店などアルバイトを掛け持ち、ファッションと音楽が好きな今時の大学生。そんな彼には中学三年生の時に肝臓移植を受けた経験があります。「臓器移植で救われたいのちだから、ドナーの方と合わせてふたり分のいのちをつないで生きていく」まっすぐな目でゆうたさんはそう語ってくれました。

病気発覚

中学一年生の頃、微熱が続いたので病院を受診したところ貧血がわかりました。夜になると少しけだるいぐらい。学校にも野球の練習にも休まず行っていたので、自分では大変な病気ではないだろうと考えていました。しかし、より精密な検査のため、入院。この入院は想像以上に長引き、検査結果を待っている間は毎日不安で仕方ありませんでした。

検査結果は、原発性硬化性胆管炎。国内でも症例数が少ない肝臓の難病でした。主治医から、この病気は薬や手術で治る見込みがなく、将来的には臓器移植しか助かる道がないことを伝えられたときには、母と一緒に泣いてしまいました。

いつも通り学校へ通っていた毎日から一転して入院、そして診断された病気は難病。平穏な日々からの変化に、この現実を受け入れることができず。"なんで自分が"何度もこの言葉が頭に浮かびました。

当時中学三年生だった入院中のゆうたさん

入院生活

診断後は、通院を続けながらも中学校へ通うことができましたが、病気の悪化によって入院してからは、体温が40度を超えて薬でも一向に下がらず。寝ても覚めても40度以上の高熱が続くなか、治療のための約2ヶ月間の絶食が一番つらかったです。

足の先まで全身が熱くてかゆい。黄疸も激しくて目も肌も黄色いし、顔はパンパンに腫れているのに身体は痩せていく一方。お腹に入れたドレーン部分は痛むし、“なんでこんなことしているんだろう”と思う時もありました。でもこれ以上心配をかけたくなかったので、つらい気持ちをなかなか周りには話せず、精神面でも病気との付き合い方は難しかったです。

当時中学三年生だった入院中のゆうたさんとお父さん(左)

臓器移植でしか治らない病気になってしまった自分。臓器をもらうためには、長い間待たなくてはいけない。もしかしたら移植手術を受けられないかもしれない。そう考えるたびに悲しくなって、自分はこれからどうなるのかとても不安で入院当初は塞ぎ込んでいました。しかし、担当の看護師さんには、徐々に自分の気持ちを話せるようになりました。つらい時、心を開いて接することができた担当の看護師さんは、入院中の大きな心の支えでした。

約半年間の入院生活ののちに退院し、そして移植を待つことになりました。

移植手術から退院まで

移植についての連絡は突然きました。主治医からの電話は深夜で突然のことだったので動揺しましたが、家族みんなで話し合ってすぐに手術を受けることを決断しました。

そして移植手術。

移植手術が終わってからベッドで、朦朧としながらも自分のお腹の傷を見て「このドナーの方の分まで頑張らないといけないんですね」と看護師さんに伝えました。「ゆうたくんはいのちをもらったから、これから一生懸命生きていかないとね」という看護師さんの言葉に励まされたことをよく覚えています。

移植後に感じた一番の変化は身体のだるさが取れた事です。手術する前は寝起きがすごくきつかったのですが、ぐっすり眠れるようなって朝も気持ちよく起きられるようになりました。肌のかゆみもピタッとなくなり、薬の量も少なくなり、健康な人の生活に近づいていける嬉しさを日々感じました。

退院する日、担当の看護師さんは涙を流して見送ってくれました。何も言わず抱きしめてくれた看護師さんもいました。そして、入院中お世話になった院内学級の先生の笑顔を見たときは、色んな思いが溢れて、自分も泣いてしまって。普段は涙を見せない母も、この日は涙を流していました。たくさんの人に支えられた入院生活。この最後の日に改めてみなさんの言葉にならない思いや優しさに触れられました。

入院中のゆうたさん(真ん中)と、看護師や医療スタッフのみなさん

移植後の高校生活

学校にも休まず行ける普通の高校生になれたことが何よりうれしかったです。始業時間が早くて毎朝6時起き、周りのみんなは大変そうでしたが、自分は早起きすら楽しかった。

生きているということは当たり前ではない。つらい病気と闘ってきたからこそ、何気ない生活のすべてが輝いてみえました。

高校から始めた書道では全国大会に出場、みんなで表彰式に出たことはいい思い出です。書道部の先生が厳しくも温かい人で、入部時に病気や移植のことを伝えると「お前はその方の分まで頑張らんと、絶対そのいのちを無駄にしたらいかん」と励ましてくれました。友人もみんな「とにかく生きていてよかった!」と喜んでくれて。学校で関わってくれているみんなが、自分の病気に対して理解をしてくれたことはすごく心に残っています。

何より病気になってから自分がこうして元気になるまで支えてくれた両親には感謝してもしきれません。大学受験のときは進路先についても一緒に考えてくれて、いつも自分の夢をサポートしてくれています。

修学旅行に参加した当時高校二年生のゆうたさん(左)と友人(右)

将来は看護師を目指して

将来は看護師になると高校一年生の時から決めていました。きっかけは入院中に出会った看護師さんや医療スタッフの方の存在が大きいです。寂しく、つらい思いをしている時はいつも何も言わずそばに居てくれた担当の看護師さん。院内学級や日々の生活で楽しいことや嬉しいことがあったら自分のことのように喜んでくれました。深い愛情に支えられ、きつくてつらい入院生活と言うよりは、楽しくといったらおかしいのかもしれませんが、最後の方は本当にそのくらいの気持ちで過ごせていました。

約半年の入院生活、不安はずっとありました。あと何年生きられるかわからないから、その何年かを全力で生きて、最後には後悔しないようにしたい。そんな風に、物事に対する価値観が変わり、前向きに過ごすようになりました。入院中に考えたこと、感じたことを活かし、臓器移植を受けた当事者だった自分だからこそできる看護があると思っています。

現在通っている大学では、看護師という同じ夢を持つ友人に、移植の経験を直接伝えるようにしています。最初はみんな驚きますが「病気があったからこそ、今の自分があるんだね」と自分の過去を理解し尊重してくれます。心を開いて何でも話せる大学の友人の存在は、看護師を目指す上で大きな心の励みです。

実習着を着て授業に向かう看護大学の友人とゆうたさん

ドナーへの思い

ドナーの方には感謝という言葉だけでは言い表せない思いがあります。

臓器移植が必要な病気になり、誰かが亡くなるのを待っているような状況に、誰かのいのちをもらってまで自分は生き続ける必要があるのか、そんな葛藤はずっとありました。ドナーになるかもしれない方と、本当は比べられるはずのない自分の人生を比べてしまったこともありました。

しかし、臓器移植を通じ、生きるチャンスをいただいたからこそ、ドナーの方の分まで毎日を全力で生き、頑張ることが大切なんだと気がつきました。

ドナーの方やご家族が決断をされた背景にある、思いや葛藤は測り知ることはできません。ただ、ドナーの方にいのちをつないでいただいた自分だから、次のいのち、その次のいのちへとつないでいきたい。ふたり分のいのちと思いをつないで、一生懸命生きていくので、どうか空で見守っていてほしいです。

いのちをつなぎ、いのちと生きる。

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