体験者の声

臓器移植者インタビュー「ともに生きる。笑顔で生きる。」

心臓移植をした清水さん。現在働いている地元のパン屋さんでは、欠かせない存在として活躍しています。仕事や家事ができる普通の毎日が幸せだと語る彼女に、今に至るまでの生活と思い、そしてドナーの方と周囲の方々への大切な気持ちを伺いました。

進行性の病気が発覚

学生時代はバレーボールに熱中し、社会人になってからは仕事に打ち込みながら週末は大好きなゴルフと、元気に動き回っていました。当時担当していた営業職が私の天職だと思っていて、さらに広い世界で挑戦するために念願だった独立開業もしました。さあこれからという時に、2週間ほど胃のむかつきが続き、病院で処方してもらった薬を飲んでもなかなか体調が良くなりませんでした。そのうち尿が出なくなってむくみもひどくなり、今まで着ていた服が着られなくなりました。食べ物を食べていないのに体重だけは増えていき、気づいた時には自力では50mも歩けないぐらいに体調が悪化。精密検査を受けた結果、拡張型心筋症だと診断されました。

まさか自分が。医師から臓器移植でしか治らない病気だと告げられましたが、治す治さないということよりも、まず自分が病気になったことが信じられませんでした。病気が受け入れられず、気持ちも整理できないまま、このままだといのちが危ないとすぐに入院が決まりました。

3ヵ月間薬物治療を続けましたが症状は悪化する一方で、退院する頃には歩くこともままならず、家でも寝ることぐらいしかできませんでした。ほとんど食事もできず、腹水が溜まりむくみで苦しくて、横になることさえもできず座った姿勢で眠っていました。夜中に眠っている夫を起こしては背中をさすってもらうこともありました。

旅行を楽しむ清水さん夫妻

ペースメーカー、補助人工心臓へ

拡張型心筋症は進行性の病気で、まずペースメーカー埋め込みの治療を受けました。おかげで体調は改善したものの、何度も心不全をおこしては入退院を繰り返していました。強心剤も使用し、病状が進行していましたので、心臓の移植希望登録をすることになりました。いろんな葛藤もありましたが、生きたいという気持ちが強かったので、臓器移植を選択する以外に考えられませんでした。

その後ペースメーカー治療も限界をむかえ、いのちをつなぐ次の治療として補助人工心臓の手術を受けることに決めました。手術の後はむくみが取れて、息切れせずに歩いたり、家事や食事ができるようになりました。普通に近い生活ができるようになったのはすごく嬉しかったですが、また明日には病状が悪化するのではないかという不安は常にありました。体調は戻っても精神的に苦しかったのを覚えています。

そのように過ごしていた夏の日、脳出血に見舞われました。突然の激しい頭痛に襲われ緊急入院、3ヵ月の間の記憶がなく、人工呼吸器に繋がれ話もできない状態でした。出血量も多かったので、後遺症で話をしたり歩いたりすることができなくなるかもしれないと家族は説明を受けていたようです。

人工心臓手術後のリハビリテーション(左) 脳出血で入院中(右)

臓器移植に向けて

病院で脳出血の治療とリハビリを続けていたある日、別室に呼ばれました。いつもと雰囲気が違っていたので、もしかしたらとの思いはありましたが、実際に「臓器提供のお話があります」と聞いた時は、頭が真っ白になりました。ただただ涙が溢れて、ありがとうございますという言葉しか出なかったことを覚えています。

すぐに移植手術を受けることになりました。臓器移植はいのちを亡くされた方がいて成り立つ医療です。手術までの時間、改めていのちの重み、移植を受ける重大さに対する不安な気持ちを強く感じました。でも、せっかくつないでいただいたいのちなのだから絶対に大事にしよう。元気になろうと決心して手術に臨みました。

生まれ変わったような日々

移植手術のすぐ後に看護師さんから「自分の脈を触ってごらん」と言われ、脈を感じた時に本当にドナーの方と一緒に生きているんだと気がつきました。そして、どんどん元気になっていく自分が身に染みて分かりました。今日できなかったことが次の日にはできるようになる。一日一日、一時間一時間元気になっていくと言っても大げさではないぐらいです。寝たきりだった時間が長かったのでリハビリは苦労の連続でしたが、仕事をしながら毎週必ずお見舞いに来てくれた母や夫の支えがあり頑張ることができました。

退院後は自分の足で歩けることが嬉しくて、つい無理をしてしまい怒られたこともありました。洗濯やご飯の支度を休まずにできたり、家の階段を何度も上り下りしても疲れません。食事も塩分は控えめにしていますが、大好きなラーメンも食べられます。今までできなかったことが当たり前のようにできる。普通に生きることはこんなに素晴らしいことなんだと、驚きと嬉しさの毎日です。

自宅で団らんを楽しむ清水さん夫妻

社会復帰から現在

現在は週5日フルタイムでパン屋さんで働いています。元々仕事が大好きでしたし、人の役に立ちたかったので、移植して3年経った頃、今の職場に面接に行き採用していただきました。最初の頃は脳出血の後遺症で、発病前のように働けない自分にショックを受け、よく落ち込んでいました。しかし、社長や同僚が辛抱強く見守ってくれたおかげで、次第に苦労していたこともスムーズにできるようになり、今では商品発注や管理、開発なども任され目まぐるしい毎日を過ごしています。同僚とお腹が痛くなるぐらい笑ったり、楽しく働く時間が何よりも幸せです。また普通に働けるとは思っていなかったので、周りのみんなからの支えに日々感謝しています。

職場での清水さん
社長が語る職場での清水さん“今ではお店に欠かせない存在としてみんなが清水さんを頼りにしていますが、最初に面接で心臓移植のこと、脳出血の後遺症があることを聞いた時は、正直大丈夫だろうかと思いました。ただ、それ以上に働きたいという意思を強く感じたので、一緒に働きましょうとお願いしました。最初はうまくできなくても、何事も続けているうちに、いつかはできるようになるものです。どれだけ失敗しても毎日一生懸命頑張る彼女の姿を見て、自然と周りがサポートする体制ができ、少しずついろいろな仕事ができるようになりました。今日という一日があること、仕事ができることがどんなに素晴らしく、大切なことと知っているのでしょう。職場のみんなと働く普通の日々をとても大事にしていることが、うちで働いている人たちにも伝わり、今では店内きってのムードメーカーです。” 社長が語る職場での清水さん“今ではお店に欠かせない存在としてみんなが清水さんを頼りにしていますが、最初に面接で心臓移植のこと、脳出血の後遺症があることを聞いた時は、正直大丈夫だろうかと思いました。ただ、それ以上に働きたいという意思を強く感じたので、一緒に働きましょうとお願いしました。最初はうまくできなくても、何事も続けているうちに、いつかはできるようになるものです。どれだけ失敗しても毎日一生懸命頑張る彼女の姿を見て、自然と周りがサポートする体制ができ、少しずついろいろな仕事ができるようになりました。今日という一日があること、仕事ができることがどんなに素晴らしく、大切なことと知っているのでしょう。職場のみんなと働く普通の日々をとても大事にしていることが、うちで働いている人たちにも伝わり、今では店内きってのムードメーカーです。”
職場の同僚と清水さん

ドナーの方への感謝の気持ち

闘病中はずっと笑顔で頑張れていましたが、手術の直後は人並みのこともできない自分が悔しくて泣いてばかりでした。せっかくいのちを頂いたのに、ドナーの方に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

そんな時、看護師さんに「そんなこと思わなくて大丈夫。その人と一緒に、共に頑張ろうって思っていれば大丈夫だよ」と言われたことがきっかけで、価値観が大きく変わりました。私の体の中で生き続けるドナーの方の分まで頑張って生きよう、私が笑えばドナーの方も楽しいんじゃないかなと思えるようになりました。

日々の感謝の気持ちを伝えるため、一年に一回は必ずサンクスレターをお送りしています。ドナーの方とそのご家族がいなかったら今の私はいないし、毎日心臓を触るたびにありがとうと伝えています。私をこれまで支えてくれたすべての人への感謝と笑顔を忘れず、できることから一つずつ恩返しをしていきたいです。

ずっと一緒に笑顔で生きたい。

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